1990年代半ばに、ヴォティエ一族はデュボア・シャロン夫人から持ち株を買い取った。 醸造責任者であるパスカル・デルベックにとって代わったのはアラン・ヴォティエで、彼はリブルヌのミシェル・ロランから、醸造についてのアドバイスを得ている。デュボア・シャロンとデルベックのワインづくりを支持する人々は、オーゾンヌのワインづくりが、より外向的で商業主義的なスタイルだと文句を唱えるが、これは利己的な思惑を持つ人々の愚痴でしかない。
ヴォティエとロランの管理下での唯一の変化は、天候状況が許せば、収穫を少し遅くすることと、マロラクティック発酵をタンクではなく樽の中で行うといったことである。新しい体制下でつくられた最初の2つのワイン(1995年と1996年)は傑出しており、オーゾンヌのエレガントさ、繊細さ、ミネラルをベースとした驚くべき特徴などすべてを備え、より凝縮して、強力であった。事実、樽と瓶での1995年のオーゾンヌの育成ぶりは輝かしいもので、しかもこのワインは、デュボア・シャロン/デルベック陣営の論議の的となった、「典型的な特色」を何ひとつ失ってはいないのだ。私は、オーゾンヌが、熱心なアラン・ヴォティエの指導のもとで、より一貫性を備え、より高い質へ達するものと予測している。
講談社刊 ロバート・M・パーカー Jr.著 ボルドー第3版より引用